私の好きな果物の一つに葡萄がある。今まで山西省には30回以上訪れているが、その季節は殆どが秋であった。太原市の周辺に広がる黄土高原には葡萄畑が多い。特に南にある清徐県は省内最大の生産地。まだ高速道路の無かった時代、太原から各都市に通じる広い幹線道路の道端に、農民が籠やダンボールに葡萄を山積みにして商っていた。その露店が延々と続き秋の風物詩となっていた。自動車が近づくと農民は次々に立ち上がり、腕を伸ばし指一本をアピールする。「一快」「一快」と叫んでいる。それは葡萄1斤が1快(1斤=500g、1快(1元)=15円)を意味している。二本指なら2快(2元)となる。品種は巨峰の子分のようで、形も味も同じで旨い。当時は何処でも1斤が1元であり葡萄畑で買うこともできた。畑では農民がいい色に熟した房を見つけてくれる。ついついハサミを入れてしまい、気が付くと籠に山盛り、計ってもらうと10斤のある。多いと思ったが10元(150円)だ、安い。
その頃はペットボトルの水が無かった。私は琺瑯引きの魔法瓶を買い、白湯を入れて持ち歩いた。暑い時でも生水は飲まない。熱いお茶での我慢であった。そんな時、この葡萄が最高の水分補給となる。黄土高原を走る車に冷房はいらない。窓から吹き込む涼風が気持ちいい。葡萄の皮と種は窓から外に投げ「雑草の肥やし」と言い訳しながら食べ続ける。
近年になって太原市から地方都市に高速道路が開通し、以前の一般道路を通らず地方に行くことができる。そこで道端に葡萄の山が並ぶ秋の風物詩に会えなくなったと思いきや、中国人は商魂逞しい。高速道路にもその風景は出現していた。道路脇の高い柵をどうやって乗り越え進入したのか、重たい葡萄をどのようにして運び入れたのか。農民が道端に葡萄を山積みにした籠を並べている。そして、その手前数百メートルの所に人が大きな旗を持って立っている。車が近ずくと旗を大きく左右に振り運転手の気を引く。この先で葡萄を売っていることを知らせているのだ。売るのも命がけなら買うのも命がけだ、危ない事この上ない。お話にならない風物詩だが、これが中国だ。
季節も変わり冷たい風が吹く頃になると、そんな道端の風景は無くなる。食べたいと葡萄畑に寄って行く。そこには農民が露店を出し商っている。値段は高くなっているが完熟で旨くなっている。
最近は舶来物なのか種の無いもの、ミドリ色のもの、皮ごと食べられるものなどが自由市場に出回ってきた。何年か前、観光地の道端で若者がリヤカーに葡萄を積んで売っていた。皮ごと食べられると言い、見事な房で色もいい。1斤幾らか聞くと、足元を見たのか30元と吹っかけてきた。見るからに旨そうで幾らかマケさせ買ってみた。甘味も酸味もいまいち、見かけ倒しであった。やはり葡萄は巨峰の子分の方が旨い。
*西頭小学校
三交鎮の小学校を廻った後、磧口鎮にある学校に向かった。この鎮は臨県の南にあり黄河に面した河沿いの街。今も明・清時代に黄河の水運で栄えた面影を残している。鎮の旧街道は石畳。そこに立ち並ぶ古い家屋敷。河岸にある石造りのヤオトンは飯店に改装され、観光客に人気の宿泊所になっている。黄土高原に建つ道教の黒龍廟、目の前に聳える李家山高原は麓から頂まで大小様々なヤオトン住居が張り付いている。近くの村には高い岩山に張り付いた陳家のヤオトン豪邸がある。これらは観光地の少ない臨県の目玉になっている。
私が初めてこの地を訪ねた2000年。その当時、観光客は殆ど見かけなかった。今回は10年振りの訪問、鎮には観光客が押し寄せ街の雰囲気は一変していた。派手な格好の若者が狭い旧街道に溢れ、道路は駐車場変わりと車が列をなし占領。黄河の水辺で人々が水と戯れる風景は隔世の観であった。
今回訪れる西頭学校は鎮の繁華街を少し外れた所にある。この辺りかと車を降り街道から細い横道に入る。前に来た時と道が違うように思えたがすぐに広場に出た。学校が在った場所の様だが二階建ての校舎が無く、その辺りは平屋の住宅になっている。丁度広場に入ってきた数人の女性に声を掛け、馬さんから小学校のことを聞いてもらった。女性達は中学校の先生と言い、ここに在った西頭小学校は廃校になり、隣の中学校を新築した際そこに合併されたと教えてくれた。そこで当時の状況を話し里子の名簿を見てもらった。すると、今の小学校の先生は全員が新しい人で、古い学校時代を知る人はいないと。しかし名簿を見ていた一人の先生が隣り村の索達干小学校に在学していた里子「閻彩虹」を知っていた。早速先生はスマホで連絡を取ってくれた。電話に出たのは里子の姉であったが、馬さんから妹の事を聞くと、今も元気で太原市にある大学校に在学している話。姉さんから里子の電話番号を教えてもらい、中学校の先生方にお礼を言い「再見」。
路地から街道に戻ると、道端の薄暗い林の中に「西雲寺址」の石碑が目に入った。以前この地を訪れた時、中学校は「西雲寺」跡に建てたと聞いた。そして西頭小学校はその横隣りに在った。
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