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その後の里子を訪ねて(14)

広い黄土高原に点々とある村を通過しながら目的地に向かい走っていると、その道中で色々な「事」に出会う。これが楽しみでもあり嬉しい。何時も私たちを案内してくれる運転手の梁さんの機転で、結婚式や葬式に出会えたり、またガイドブックにも載らない小さな遺跡も見ることができた。






 ある年、黄河の壺口瀑布を見たあと臨汾市に向かい吉県の高原を走った。幾つかの小さな村を通過し次の村が近づいてきた。私には聞こえなかったが梁さんには分かったのか、車を村の外れに廻した。すると賑やかな民族楽器の音が聞こえてきた。着いた広場には丸太を組んだ芝居小屋。舞台では蒲劇(京劇)が演じられている。小屋の上に「臨汾地区古県蒲劇団」の横断幕。この地から西に百粁ほど離れた古県から来た京劇団だ。(山西省では、京劇を蒲劇または晋劇という)





 近くに寄ると、派手な衣装の男優が主役なのか背中に数本の旗を差し甲高い声を張り上げている。暑い炎天下の広場には見物客は疎ら。舞台の真下に白いパラソルを差した二人と頭に手拭いを巻いた農夫だけ。遠く離れた木陰に十人ほど椅子に座って見物している。舞台のソデで民族楽器を鳴らしている青年も暑いのか裸だ。その周りに劇団員の子か、それとも村の子か何人も屯している。
 写真をと舞台に近づき男優を見ると額から汗が流れ落ちている。見物人も少ないのに熱演だ。暫く見ていたが、可哀想に思えた田舎芝居の一幕であった。
 大きな寺廟には境内に戯台(舞台)が有る。祭典に京劇などを上演している。ある年、五台山の大白塔のある塔院寺を見学していると京劇の演奏が聞こえてきた。駆けつけると戯台前の広場は見物客で溢れている。舞台に近づくと、何人もの子供が舞台に登り役者の足元で食べたり飲んだりし見物している。邪魔にならないのか気になったが、これは何時ものことなのか役者も誰も気にしていないのが面白い。
 夜、宿泊していた飯店の服務員が近くの広場で映画会があるという。春の五台山は昼間は快適だが陽が沈むと冬並に寒くなる。長時間の寒さには勝てる自信がなく、興味はあったが出かけなかった。
 1980年代のことだ。今ではこんな映画会は無いと思うが、中国は広い。まだ何処かで巡回映画会が開かれているかも知れない。
*索達干小学校
 先に西頭中学校の先生からこの学校は廃校と聞いたが、その先にある村の学校にも里子が在学していたので、途中にある索達干村に寄った。そこは磧口鎮の黄河沿いに点在する小さな村の一つで、今までにこの道は何回か通ったことがあった。1948年3月、陝西省から黄河を渡り山西省に入った解放軍幹部一行が通った道だ。当時は自動車が入れない細い道、毛澤東は馬で磧口鎮に行った。そこからは車で北京に向かったという。私が初めて来たのは2001年。その頃も道が狭く対向車とすれ違うのに苦労したが、来る度に良くなり今は舗装もされている。
 索達干村に入り道端にいた人に学校の場所を聞くと、この高原の上に在ると指差し、登る道を教えてくれた。しかし細い道で上までは車で行けそうにない。仕方なく学校が在るという高原の写真を撮って離れた。
*下咀頭小学校
 この学校の在る村も黄河沿いにある。黄河を左に眺め黄土高原の麓を走る。この道は私に好きな風景が次々に現れるドライブコースだ。村に入り学校はこの辺りかと車を停め、高原の上を眺めると中腹に白い家の門が見えた。そこで聞けば学校の在処が分かると思ったが車は道が狭く入れない。高原に登る広い道は他にあるだろうが、遠くはないと思い馬さんと歩いた。ジグザグの道を登って行く、すると崖の上に向かった垂直な細い一本道がある。近道かと這うように登って行くと門の前に出た。門は思っていたより大きく白いタイル張り、そこに黄色で大きな吉祥文字を書いた赤紙の対聯が貼ってある。中を覗くと新築したのか奇麗なヤオトン。門に貼った吉祥文字は新居に「福」を呼ぶ言葉のようだ。馬さんがヤオトンに声を掛けると人の良さそうな老夫婦が出てきた。学校の事を聞くと、このすぐ下にあったが廃校となり、新しく造った学校も既に廃校になったと教えてくれた。老夫婦と門の前で写真を撮って、再見!
 登ってきた道と反対の道を降りるとすぐにヤオトン校舎があった。黄土の崖に掘った三連の小さな教室。児童が勉強していたとは思えない廃墟と化している。中を覗いたがその面影はなく、狭い校庭は雑草が繁り、砂利や煉瓦が散らばっている。
 そこから少し離れた新しい校舎は六連のヤオトン教室。やはり荒廃は激しく無惨な姿。今は農民の倉庫になっているのか、籠やダンボールが散乱している。薄暗い洞内を見渡すと、正面の壁を黒く塗った黒板はシミだらけ、剥がれ落ちた壁に残る紙の掲示物、隅には黄砂にまみれた机と椅子が積んだある。辛うじてそれ等が教室であった面影を残している。
 この様な光景を見ると必ず思うのは、かつて里子は冬に暖房も無いこの教室で、猫の額ほどの校庭で、大勢の子供に混じって勉強し、そして笑い騒いでいたのだろうと。そして今は何処で何をしているのか、里親のことを忘れずに今も元気でいるか、その思いは走馬燈のように頭を巡る。荒廃したヤオトン校舎はまさに「兵どもが夢の跡」の感だ。ここでも廃墟となったヤオトン教室を写真に撮って離れた。