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里子を訪ねて (14)


*高家湾小学校

 2005年4月、協会の役員3人と埼玉県日中友好協会が取り組んでいる山西省緑化協力事業の植樹祭に参加した後、里子のいる克虎寨鎮高家湾村を訪ねた。
 この小学校は里子が在学する学校としては臨県内で最も北に位置し、その克虎寨鎮の西に黄河が流れ、高家湾村は河に面した黄土高原にある。小学校はその高原を少し登った所に在り、そこから眼下に広がる景色がいい。滔々と流れる黄河、そこに架かる橋の向こうは陝西省。その対岸の絶壁に建つ寺廟、黄土に聳える白雲寺と、その展望は今迄に訪ねた小学校で一番見晴らしのよい眺めであった。

 校舎は黄土を削りその壁に穿った窰洞(ヤオトン)で、そこに教室が並んでいる。
校庭は狭く小さな学校に見えたが、校舎は二段になっている。一階の教室の上は二階の校庭でその端に教室がある。平地のない地方での工夫された珍しい学校。教室の入り口にある窓や壁が何ヵ所か壊れて見たところ古い感じだ。しかし良く見ると校庭も教室も隅々まで清掃が行き届き清潔な感じ。ここには九名の里子が学んでいた。教室の壁には成績の良い児童の名前が張り出され、そこに里子の名もあった。その他、村の子供達の進学率は100%、文盲率は0%など、教育情況を紹介する記事や表も掲示してある。先生は里子の学習態度、学課毎の成績など細かく説明してくれ、学校の教育に対する情熱が感じられた。











*丛罗峪小学校


 2006年6月、須藤会長と二人で訪ねた。その日は朝から日差しが強く蒸し暑
かった。この小学校が有る丛罗峪鎮に行くには、県城から南西に広がる黄土高原を40粁ほど走る。途中は高原にある小さな村に入っては抜け、抜けては入る道が続く。
高原は鎮の西に流れる黄河まで続き、街はその流れに削られた平地にあった。高原を下ると目の前に黄河が現れ鎮の街に入る。T字路となった道を右折すると学校が見えた。近づくと校門が並んで二つ、なぜ数メートル離れ立っているのか分からない。大きな門柱には「丛罗峪中学」、小さ門柱の横に「丛罗峪小学」の看板。どちらからでも入って行けるのだが、「小学」から入った。小さな鎮にしては大きな二階建ての校舎で校庭も広い。ここに里子は一人と聞いていたが、職員室に入ると四人もの里子が待っていて親たちも来ていた。この鎮には十人の里子がいて、今回は寄ることが出来ない遠くの村にある小学校の里子が、私たちがこの学校に来る事を知らされお礼を言いに来てくれていたのだ。皆さん農民で精悍な顔の人たちだ。

 学校が用意してくれたのか、それとも里子の親が持って来てくれたのか、机の上に大きな西瓜が二つ。それを皆で食べながら先生の話しを聞いた。この学校が大きいのは、平地が少ない街なので中学校と小学校を同じ敷地に建てた。寄宿舎も必要なので一棟ある。鎮の中には街から遠く離れて点在する山村が多く、そこには学校がない。
この丛罗峪小学校に就学しても家を出て学校に着くのは夕方と、通学に一日もかかる児童が多い。最も離れた村からの児童は通学に二日もかかる。寄宿舎に入っている児童は休みの度に帰宅できない。帰ると数日は学校に戻れない。その為、授業日は十日連続で一日の休みと、児童の学習時間を増やしていると、説明してくれた。この話に須藤さん驚きの顔。私も初めて聞く話であった。

 里親に渡す一人一人の里子の写真と、皆の記念写真を撮ったあと街を散策。黄河を見に行くと街を守る堤防のような土手があった。そこに人が通れる穴が空いている。
そこを潜り抜け河原に行ったが流れの近くはドロ沼で歩けない。戻るしかなかった。
この地方は地下水が豊富なのか街には林が点在している。その緑が裏に広がる荒れた黄土と対象的で美しい。林に入ると涼しく気持ちがいい。歩いて行くと井戸が有った。丁度、天秤を担いだ娘さんが水汲みに来た。縄に付いた桶で井戸から汲み上げた水を見ると澄んだきれいな水。聞くと飲料水だという。黄河の濁った水も地下に浸透してここ迄くると生活用水になっていた。

 私たち里親はどの学校の里子も初めて会う外国人。初対面では里子は何を話していいのか分からず、誰もが「叔々、謝々」と言うが、あとが続かない。私たちからの問いには返事はくるが、その言葉も短い。仕方の無いことだ。しかし、帰国後に届く里子からの便りは感謝の気持ちが一杯詰まっている。家庭の事情も綴られていて嬉しい。これからは、父兄、学校の先生、事業関係者の便りも紹介して行きます。