山西省四方山話 44
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里子を訪ねて (3)

その後、臨県の「失学児童救助」事業は年毎に広がり、県城から遠く離れた山村の小学校にも里子は在学していた。それ故、里子を訪ねる旅は毎年続けて実施していった。

 新しい里子が在学する小学校を訪問する時は、どんな児童なのか、家庭はどうなのか、私と同行する里親も興味津々だ。そして小学校と里子に土産を用意して行く。それは市民から寄せられた文房具や菓子類の他、必ず用意する物にサッカーボールがある。どこの国の子供も丸い物で遊ぶのが大好きだ。中国の子供もボールを見ると大喜びする。

 ボールは嵩張るので山西省に着いてから購入する。10個以上も用意する時はボールから空気を抜いて車に積み込む。忘れてならないのが空気を入れるポンプと針だ。

 しかし里子のいる臨県に行くと、予定していた小学校に行けないことがある。それは、両親が離村し里子が転校したとか、天候不順で道路が崩れた等で、訪問が計画通りに行かない時があるからだ。

 僻地の山村は黄土高原にある。黄土は雨に弱く道は直ぐにドロドロとなり、坂道は車がスリップして登れない。そんな小学校に行く途中、車が登れなくなり引き返した時もあった。曲がりくねった狭い道をバックで下って行く運転手の技術には感動させられる。
 そのような日があると土産が余ってしまう。その時は、道中で見かけた学校に寄りプレゼントしてくる。

*喬家圪台小学校

 2001年9月に臨県に行くと、共青団から今年度は里子が在学する小学校が六校に増えたと報告があった。その内の桃塔小学校の里子は不在で、尚趙小学校は悪路で行けないという。残念だが仕方がない、その空いた時間を利用して、観光地である黄河の対岸にある白雲寺に出かけた。広い境内に歴史を感じる見事な寺院が建ち並ぶ。雨で観光客は少なく、眼下に流れる黄河は霞んでいた。

 その帰り道、車は県城に向かい克虎寨鎮の高原には入ると、左は崖、右は渓流が流れる道となってきた。すると崖に沿って建つ学校があった。校門の上に「喬家圪台小学」の文字、その前に停車。校庭に入って行くと授業中なのか静かだ。職員室に行くと男性が一人、聞くと校長という。事情を話すと快く応対してくれた。直ぐに教室を廻り授業を中止させ、小雨が降る校庭に児童を集めた。集まった児童の目は私たちの持つボールに釘付けとなっている。校長先生は、この人達は毎年日本から山西省に来て、臨県の失学児童を支援している、と紹介した後、このボールと文房具はその児童のいる小学校の土産だが今回は行けなかったので、この学校に贈ってくれたと説明した。聞いていた児童から喜びの声。ボールを渡して全員で記念写真。

 児童たちは直ぐにボールを蹴り始めた。男の子も女の子も夢中で遊んでいたが、私たちと別れる時は、泥だらけのボールを持ち校門の前まで出て来て見送ってくれた。再見!再見!。

 その年から六年後、私は生涯一度は訪れたいと思っていた「延安」に行く途中、喬家圪台小学校に寄った。しかし校長先生は私を覚えていなかった。そこで以前に寄った時の写真を差し出すと、直ぐに思いだし笑顔の固い握手。私は児童たちにと飴など入った紙袋を渡して別れた。