1987年春。山西大学に語学の短期留学していた萩原さん。七人の学生の中で最年長の70歳。彼女は、数年前にご主人を亡くしていた。一人になった後、意気消沈の日々を過ごしていたが、そんなある日、息子さんが元気付けようと中国旅行に誘った。初めての中国に感動した彼女は帰るとすぐに、近くの公民館にある中国語教室に通い始めた。そして中国語会話が少し出来るようになると、再び中国に行った。その時「私に、まだこんな素晴らしい人生が残っているとは、夢にも思っていなかった」と、私たちに話してくれた。
その萩原さんが、何時か街の小さな店で餃子を食べたいが、一人では行けないとい
う。そこで私と二人で街に出かけた。大学の西門前からトロリーバスで終点の五一広場へ。そこから太原駅に向かって歩いた。すぐに小さな飯店は見つかった。店に入ると客はなく、中に丸いテーブルが四、五台。萩原さんは気に入った様子。菜単を見ると、餃子の値段は中身の具によって一斤=何元とある。二人で一斤(500g)は多いと思い半斤頼んだ。餃子を待つあいだビールを飲もうと、調理場のお姉さんに声をかけた。すると愛想のない顔で、瓶ビールを一本ぶら下げて来た。テーブルに置きながら「何角」という。私が小銭を渡しながら「杯子は」というと、端の欠けている茶碗を二つ持ってきた。
出てきた餃子は大きな丼に山盛り、二人には十二分な量、美味しく萩原さんは大満足。食べながら、ふと外を見ると窓に子供の顔。ガラスにオデコを付けこちらを覗いている。餃子が食べたいのかと思い、私が箸で丼を指すと首を横に振る。しかし窓から離れない。
私たちが食べ終わり、レジで金を払っていると、外にいた子供が入って来た。何か?、と見ていると、テーブルの空き瓶を掴んで来てレジの台に置いた。するとお姉さん、瓶と交換に小銭を子供に渡した。ビールは中味と瓶は別料金であったのだ。見ていた私と子供の目が合った。ニコッと笑った子供、素早く店を出ると小走りに街の中に消えて行った。 |
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