山西省四方山話 29
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臨汾の?麺

   1990年頃、中国で外国人の使う紙幣は兌換券であった。表向き中国人には通用していなかった。兌換紙幣は外国人専用の友誼商店で通用していた。そこには外国製品や高級品が有ったが、人民元では買えなかった。外国の電化製品の欲しい中国人は、留学生からヤミで人民元を兌換紙幣と交換していた。留学生も細かい日用品を買うのに人民元が便利であった。

 その頃、山西省南部にある臨汾に行った。そこは旧い都のあった地で、街は落ち着いた感じがした。今は“黄土高原上的花果城”と言われ、街路樹には林檎や石榴など果樹が並び、民家の垣根も葡萄が絡みつき、街は緑の中に有る感じであった。
 臨汾賓館で夕食のあと、例によって自由市場を冷やかしに出かけた。露店の並ぶ一角に若者が地面に敷いたゴザの上で麺を打っていた。大きな俎板の上でボール大の塊を延ばし、それを両側に柄のある包丁を両手で握り細かく刻んでいく。私は初めて見る麺の作り方で、その見事な手捌きを見ていたら食いたくなり、満腹だったが麺は別腹と頼んだ。
 若者は塊を延ばし始めた。地元の一人前は半端な量でなかった。あまりの大きさに私は慌てて「半分でいい」と言ったが通じない。身振り手振りで何とか分かってもらえたらしい。すると今度は広げた麺を半分に切り、そのまま鍋に入れようとした。驚いた私は彼の手を押さえた。細かく切るような仕草が通じ、ようやく麺は茹であがった。麺の名を聞くと、字は分からないが「ポ、ミェン」と聞こえた。日本の「手打ちうどん」と変わらなかった。
 そんな遣り取りが面白いのか、店の周りは黒山の人。食べ終わり若者に「多少銭」と聞くと、「五角」と。そこで私は五角札を渡すと若者は暫くその札を眺めていたが、不思議な顔をしてこんな「銭」は見たことは無いという。人民元は無いかというが兌換紙幣しか持っていなかった。周りのヤジ馬は、その珍しい札を見ようと覗き込み大騒ぎとなった。周囲の眼が私に注いだ。すると一人の青年が出てきて若者に話しかけた。すぐに理解できたのか若者は「銭」はいらない、ご馳走すると言った。私は申し訳ない気持ちになり、それで記念にと何種類かの兌換紙幣を渡した。「再見」、

「再見」。

 ここでも小さな感動と思い出を頂いた。