山西省四方山話 25
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洗 髪 (1)

 1992年の秋、佛教の聖地五台山を参観したい友人達と出かけた。太原での宿泊は例によって山西大学の留学生楼。今回の旅に使う車を外事處の趙永東さんが用意してくれていた。それは省政府のもので運転手は梁興武さん、それに留学生科の趙家言さんも同行してくれた。 私は五台山に何回か訪れているので、何時も通る南台の峠を越えず、山の麓を河に
沿って行くルートにした。その道中には「松岩口」という小さな村があり、そこに白求恩(ベチューン)記念館がある。私は一度は尋ねたいと思っていた所だ。
 太原から五台県の県城を通り茄村を過ぎ、その村はずれで北の南台に行く道と分かれ右折。しばらく走ると五台山が源流の清水河に出る。左折しその河に沿って北上して行く。左側に険しい岩山が連なる狭い道を走る。幾つか小さな村を通り過ぎて行くと、民家の壁や塀に「松岩口」と書いてある村に着いた。
 カナダの外科医師であった白求恩は、1937年に抗日戦争が始まると八路軍の支援のため延安に赴いた。各地を転戦し1938年6月この村に入った。そして村の鎮守様である龍王廟を野戦病院に改装し、負傷兵士の治療に携わった。その廟に行くと、入り口の石段で編み物をしていた女の子が門を開けてくれた。女の子は「1940年、この地方に侵攻した日本軍は“三光作戦”で、村を焼きこの病院も破壊した」と話しながら、今は修復した病室、手術室、消毒室など案内してくれた。参観する人がいないのか、掃除をしないのか。雑然とした薄暗い廟内がかえって当時の状況を復元している様に感じられた。
 廟の近くに建っている記念館に行くと、鉄柵の門の前で若者が西瓜を並べ売っていた。「中を見に来た」と言うと「食べてゆきな」と一切れくれた。山西省の西瓜は何処で食べても甘い。







 中庭に白求恩の像と、その後ろに毛澤東が彼の国際主義の革命精神を讃えた論文“白求恩を記念する”の刻まれた石碑が立っていた。館内には彼の経歴、足跡、写真などが展示されている。そして、1938年10月、白求恩はこの地を離れたあと各地を転戦、1939年河北省に入った。そして完県黄石村で傷病兵の手術中に感染し、11月12日に病死したとあった。私は、誰もいない静寂な展示室を廻りながら、また一つ夢が叶った思いがした。
 参観のあとは一路五台山に向かう。辺りに畑が無くなると森林地帯に入って行く。しばらく走ると道に馬柵棒が横たわっている。脇にある小屋に解放軍兵士がいた。関所なのか?、入山する人をチェックする。開けた車の窓越しに梁さん、二言三言話すと兵士はフロントに貼ってある省政府のマークを確認、「好」。無事通過。 五台山の西山に夕日が沈むころ台懐鎮に入る。今夜の賓館は趙さんが予約した外国人も泊まれる宿。フロントで一服しているとカウンターの方が騒がしくなった。聞くと、この賓館は外国人が泊まるにはパスポートが必要だった。私たちは持っていなかった。大学の宿泊で外事處に預けたままで忘れてきた。趙さん粘るも埒があかない。すると騒ぎを聞きつけ部屋から男が出てきた。支配人なのか趙さんと二言三言話すと、すぐに「好」。“地獄で佛”か、彼は山西大学の出身であった。「関所でチェックされていたら、ここに辿り着けなかった」と梁さんホッとする。
 餐庁で飯を食べていると、突然ドアーが開き青年が飛び込んできた。彼は趙さんの知っている大学生、その手にパスポートを握っている。朝、私たちが出発した後、外事處がパスポートを預かっていることに気が付き、處長の息子が朝一番のバスで追いかけて来たのだ。中国人の誠実さの一面を知る思いだった。
 賓館は、鎮の繁華街から離れていて周りには何もない。飯が終わると何もする事がない。しかし、ここならでの楽しみが一つあった。それは暗闇の外にでること。
 夜空に満天の星が輝いている。巨大な天の川が天空に懸かり、夜空の主人公となっている。無数の星屑が宇宙の果てまで散り、その中から一つ、二つと流れ星が山の蔭に消えてゆく。この光景は、聖地に来た者へのオマケと眺めていたいが、下界は夏でもここはもう初冬の冷え込み、長居は出来ない。しかし部屋に戻ってみても何もやる事がない。頭でも洗ってもらいにと、理髪室を探していると、趙さん中国の諺に「空腹で風呂に入るな!満腹で頭を洗うな!」という。私はそんな諺は日本には無い、とフロントへ。お姉さんに「洗髪」と頼むと「可以」。案内されたのは薄暗い理髪室。鏡の前に座ると首にタオルを巻きシャンプーを掛ける。しばらくかき回しまた掛ける。髪はアワだらけとなる。しばらく揉むと「完了」と、お姉さん“温水”の蛇口の栓を捻る。出てきた冷水がなかなか暖かくならない。二分、三分と待つも温水は来ない。お姉さんフロントに走る、ガヤガヤ話し声が聞こえてくる。すると二、三人やって来てボイラーが「壊了」という、故障して直らないらしい。思案にくれているので、私はお姉さんが使う魔法瓶と客室に有るのを集めるように言った。すぐに派手な絵柄の魔法瓶が5~6本並んだ。
 これが中国四千年の「チエ」なのか。それとも諺の「禍」なのか。面白い「禍」に
会ってしまった。