山西省四方山話 20
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洗濯(3)  道端で




 1987年頃、私は山西省で中国語を学んでいた。教材に「司馬光撃缸」の故事が あった。それは「幼い頃、子ども達と遊んでいた時、一人が誤って大きな水缸に落ち
てしまった。それを見た光は、とっさに石を投げつけ缸を割って助けた」話だ。老師 (先生)は、司馬光は山西人で北宋時代の歴史家であり政治家でもある、と教えてくれたが故郷は知らないといった。
 それから十年後の夏、山西省は初めてという友人たちと司馬光の故郷夏県に向かった。車の運転は友人の梁さん、いつも空き瓶に茶葉を入れて持ってくる。ぺットボトルの無い時代だった。我々は途中で雑貨屋に寄り魔法瓶を買う。昔懐かしいコルク栓だ。それに湯を貰い旅を続ける。
 夏県は太原から南へ約400粁。道幅は広いが砂利道の所もある幹線道路をひたすら走った。
 見渡す限りの平原を走っていると森が見えてきた。司馬光の祠堂はその中にあった。門の前には「三晋第一碑」といわれる大きな碑額に”忠清垂粹徳之碑”と書かれてある。門を入ると参道の両側に動物の石像が並び、その先に司馬家代々の墓がある。大雄宝殿、禅院、それに資料も展示され司馬光を偲ぶ事ができた。
 参観の後、南に向かう。しばらく走ると村が見えてきた。村に入って行くと道端の小屋の前に人が群がっている。近づくと小屋の前にある水溜りを囲んでいる。すると小屋から突き出た鉄管から水が飛び出してきた。村人が飲み水を汲みに来ていたのだ。老若男女、中には天秤棒を担ぐ老人もいる。持ってきた桶やバケツを満杯にすると帰って行く。すると残った若者が洗濯を始めた。「飲めるか」と聞くと「好」。冷たくて美味しい。なにせ中国に入ってから生水を飲んでいない。暖かいお茶ばかりだ。やはり水は「生」に限る。顔を洗い、タオルを濡らして体を拭いていると、娘さんが「近くに温泉がある」と教えくれた。もう夏県の県城近くに来ていたのだ。
 城内の近くにあるこの温泉療養所は前に来たことがある。その時は大浴場に入ったので、今度は個室にした。日本人が小さいのか、バスタブが大きいのか、中でコケたら溺れそうだ。のんびり浸かり、窓際にあるべットで横になり疲れをとった。
 ひと休みの後、一路南の黄河に向かう。平陸県に入ると見渡す限りの黄土高原になる。ここは”平陸不平溝三千”(地名は平らな陸地だが、平らな所は無く溝だらけ)と言われる地方だ。
 黄河の港”茅津の渡し”に着くころ夕日は黄土高原を赤く染め始めていた。以前ここは水運で栄えた街だが今はその面影も無く、日に何回か渡し船が対岸の河南省へ人や車を運んでいる。しばらく黄河に沈む真っ赤な太陽を眺め、塒を捜しに県城に戻る。しかしこの街も未解放地区 なのか、外国人の宿泊できる飯店や招待所は無かった。そこで梁さんが知恵をだし、我々も中国人になった。宿賃も安く無事成功。しかし人目の付く所での会話は厳禁となった。