山西省四方山話 23
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お助け神

 1996年頃から県協会は、山西省の僻地にいる失学児童の学費援助を始めた。この事業に賛同して当協会も資金を集めた。そして県協会を通じて送った先に「河曲県」があった。
 そこで私は「河曲県」について何冊かの資料で調べた。その地は山西省の北部に位置し、北方特有の厳しい自然条件の地だ。そこには幾つかの興味を引く名所旧跡があった。
 その一つ“娘娘灘”は、「三晋名勝」(山西古籍出版社)に載っていた。
 河曲の西は黄河が北から流れている。黄河のその長い流域には多くの中州が有るが、唯一古代から人が住んでいるのが娘娘灘。そこには2000年もの昔、漢王朝高祖の妻、呂雉に迫害された文帝が母薄太后につれられ逃げた島。今もその母が建てたと言われる聖母祠堂が修復されて有るという。
 もう一つは、“文筆塔”。「状元塔」とも言われるこの塔は「魂系山西」(中国科学技術出版社)に載っていた。ここは、十年に九年は自然災害に見舞われ凶作の多い地方。毎年男は出稼ぎに出る、後は「女人村」となる貧しい農村地帯。この塔は、清代乾隆年間に風水の占いによって建てられた。県の西、黄河の対岸は内モンゴル。そこの大口村を流れる川が滝となって黄河に落ちている。それはあたかも巨龍が大口を開け、この地を呑み込もうとしている姿。それが禍の「元凶」との風水師の話。そこでこの地の禍を取り除き、民の裨益を願い、塔を建てることにした。塔は天文学、地理学、幾何学などの知識によって“毛筆”の形に作られ、黄土高原のノロシ台に建てられた。それは毎年二回、夏至と冬至の日の出、太陽に照らし出された“毛筆”の影が黄河の対岸に伸び、その先端が滝口にある硯に似た大きな岩盤を覆い、巨龍の口を塞ぎこれで禍を封じ込める・・という、誠に興味のわく話だった。
 2006年春、太原郊外の植樹のあと、私たち数名は大同の植樹に行く途中河曲に寄った。
 この年は記録に残る旱。河曲に向かう黄土高原の畑は耕作を終え、雨を待って種を蒔きたい農民の姿があった。降らなければ種は蒔けず、毎日畑に出て雨を待っているという。この地方には文筆塔の裨益は来ていなかった。
 高原の道は黄河に当たると左に曲がる。右側の絶壁の下を流れる黄河は今までに見たことのない清流だ。水が少なく至る所で中州が顔を出している。高原の道を下り、街に近づくと並木道となり黄河の岸辺を走る。前方に緑の島が見えてきた。娘娘灘だ。中州には鉄塔や建物が見える。車から降り船着き場に向かう。2000年もの昔、この道を漢代の皇帝たちが歩いたのだ。文帝親子はなぜこの地に来たのか、絶対に安全と考えたのか。私は立ち止まり島を眺めながら、中国の悠久の歴史に想いを馳せた。
 土手の渡し場には舟は無く人も居なかった。近くに壊れた舟が繋がれていた。島から舟が来るのかと暫く待ったが来る気配は無く、残念だが戻るしかなかった。
 県城に入ると、車、自転車、人の波。店から響き出る音楽と活気に満ちていた。この街の中には文筆塔の裨益が確実に来ていた。
 大同に行く途中、内モンゴルとの国境にある万里長城を見ることにした。
 山西省との境界は広い草原の中。旧い関所の跡は見当たらず無人小屋が一つ、周りに人家は無く、なぜかニワトリが十数羽放されていた。草原の先は東から山脈が延びて、その頂に万里長城が連なりノロシだ台も見える。皆その景色に満足であった。
 内モンゴルに入ると国道は砂利道となった。道幅は広いが凸凹となってくる。工事中なのか、前からも後ろからも車が来ない。何粁か走ると登り坂となりますます悪路となる。遂に左前輪が脱輪、溝にはまってしまった。バックするにもタイヤは空回り。皆で押しても引いても、二進も三進も行かない。もうこれ迄かと思案していると、遥か坂の下から人が歩いてくる、鍬を担いだ少年だ。運転手の王さん「彼は先程すれ違った子だ」という。私には、近づいて来るその子の姿が「お助け神」に見えた。脱輪したタイヤの周りを鍬で掘り石を詰めた。そして少年の力もあって車を押し上げることができた。「この道は工事中、すぐ先で行き止まり」と少年、心配して戻って来てくれたのだ。そして旧道まで案内してくれた。別れる時に幾らかの気持ちと、臨県の里子から貰った白酒漬けの紅棗もプレゼント。「謝謝」、「謝謝」。「再見」、「再見」。手を振って見送ってくれた。どんな所にも親切な人は居るものだ。
 このアクシデントで昼めし時はとっくに過ぎていた。周りを見渡しても一面の草原。二時間ほど走っても景色は変わらなかった。そのうち小さな部落が見えてきた。期待して近づいたが農家が十数軒、飯店は見当たらなく通過。内モンゴルの清水河鎮に着いたのは四時を過ぎていた。
 早速飯店を探すが、しかしどの店も夜の営業までの休憩時間、コックが帰宅して不在。何軒目か、断られ出ようとするとすれ違いに白い服を着た男が入ってきた。コックが帰って来たのだ。昼飯を終え外に出ると、もう空は夕焼けに染まっていた。
 車は大同に向けスピードを上げた。街の渋滞を抜け、山西省に入ると陽は沈み車も少なくなってきた。街灯の少ない暗い国道をひたすら東に向かって走った。
 途中、後続車の無いことを確かめ、「トイレ休憩」と細い横道に入る。男は道端で、女の宗さんは前に走って暗闇に消えた。すると希代なことに後ろから車が曲がってきた。明るいヘッドライトが、暗黒のなかに真っ白な尻を一瞬照らし出し走り去って行った。車に戻った宗さん「見られちゃった」とケロリ。
 大同の市内に着いたのは夜の九時を過ぎていた。夕食は王さんが予約してくれていた。そこはシャブシャブの高級飯店、彼の娘さんが待っていてくれた。彼女の奏でる古琴を聞きながらの食べる羊肉は美味しい・・が、タレが大同名物の香辛料のきいたゴマ油。サッパリした肉がギタギタとなる。疲れて食欲のない胃袋にはポン酢が欲しかった。