山西省四方山話 15
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温泉(1) 兵士の温泉



 1960年頃、「人民中国」に載った「赤(紅)軍物語」の中に負傷兵の入った温泉の話があった。1930年代は抗日戦争が主であったが、国民党軍との戦いもあった。

物語の地は山西省と河北省との境となる太行山脈でのことで、北の大同付近から南の黄河まで約500Km続いている山脈である。

 この地方の国民党とのゲリラ戦で足を負傷し歩けない紅軍兵士一人に少量の食糧を与え、山中に残し部隊は前進していった。残されたその場所には温泉が湧いていた。温泉で治療しながら焼餅などで生き延びた兵士が、村人に助けられる話であった。

 温泉好きな私は、何時かその地を訪ねたいと思っていたので、その物語の粗筋は今でも覚えている。

 1970年、初めて山西省を訪れた機会に地図を買ったが、太行山脈に温泉マークは無かった。1980年代となり手に入れたガイドブック「山西撹勝」に南の夏県温泉と北の湯頭温泉が紹介されていた。

 この湯頭温泉は、その昔、北魏の皇帝が行宮を建てた歴史ある温泉場だ。そこは大同から渾源県を通り五台山に向かう途中のある。その湯頭温泉に行くことが出来たのは1992年の初秋。

山西大学外事処の責任者と私たち四人。応県で仏宮寺木塔、渾源県で北岳恒山・懸空寺などを廻ったあと、太行山脈を左に眺め麓の道を五台山に向かった。地図を頼りにこの辺りかと畑の農民に聞くも知らないという。しばらく行き道端を歩いていた若者に聞くも分からない。土地の者が知らない筈は無いのだがと、さらに車を走らせた。

 遠くに見えてきた部落に向かって左折、しばらく行くと大きな白い建物が見えてきた。その前を流れる川で村人が洗濯している。唐河だ、太行山脈からの水が北京の水源となっている川だ。

門柱に「湯頭温泉療養所」とある。早速、外事処の趙さんに[紅軍兵士]のことを聞いてもらう。療養所の職員も村人も兵士の物語を知っている人はいない。何人かの職員は「太行山脈は大きく広い、何処かにその温泉は有るのだろう」との話。残念だがこれでは探しようが無い。60年以上も昔の話だ、判らなくても仕方がない。

 ここまで来たのだから、温泉に入れるかと聞くと“好”との返事。浴場に案内されると個室で、大きいバスタブに湯を満杯にする。最高の湯加減だがのんびり入っては居られない。まだ先は長い。ここは湯治場ともなっていて、朝から入っていても一日一元だというが村人には高額だ。

 温泉場に入ってきた道に戻りしばらく走ると繁峙県に入る。この道は1948年4月、毛沢東と八路軍幹部らが陝西省から山西省に入り五台山へと登り、そして北京に向かった道である。

 峠の麓にある伯強村を過ぎると暗くなってきた。この村は吹雪のため山に登れなくなった毛沢東らが泊まった所だ。

 車は五台山に入る東岳の峠を越えた。峠の名は鴻門岩、登って来ると暗闇のなかに若者が三人が岩に座っている。歩いて五台山に来たというがまだ先は長い。その三人を乗せ牛詰めとなった車は一路台懐鎮に向かって下った。

 果たして太行山脈に[兵士の温泉]は有るのか、無いのか。宿題となってしまった。