山西省四方山話 18
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洗濯 (1) 歌声の流れる小川




 佛教の聖地五台山に入る道は、東西南北から幾つもある。主な道である太原からは南岳の峠を越える。初めて訪れた1987年、この道はまだ舗装されていなく凸凹。峠が近づくと落石が幾つも転がっていた。そんな悪路のため、朝に太原を出ても着くのは夕方だった。

 日本からの留学生を乗せたバスが谷底に落ちたのもその頃だ。

 90年代になると道の舗装され、2000年代になり高速道路が開通すると時間も大幅に短縮した。

その五台山には何回となく訪れた。ある年、往復同じ道では面白くないので、帰りは盂県に抜けた。峠を越えると谷間に花胡椒の畑が広がる。四川料理には欠かせない赤い実をたわわに付けている。

盂県に近づくと山の急斜面に部落が張り付いている。大辿村だ、千年もの昔から住んでいる歴史ある山村だ。しかし、こんな人里離れた山奥で生活の糧はどうやって得ているのか、近くに畑は見当たらない。

その村を過ぎると道は二又に分かれる。左に「盂県温泉療養所」の看板が見えた。寺平安温泉だ。その道の先は太行山脈に通じる。前から宿題となっている「兵士の温泉」か、確かめたかったが残念ながら時間が無い。

右に曲がって進むと道は九十九折となり下って行く。小さな村を幾つか通り過ぎ上社鎮に入った。昼飯は例によって「拉麺」と飯店を探しながら走る。村はずれに小さな店があった。拉麺はあるかと聞くと「ミングドン」があるという。どんな麺なのか運
転手の鄭さんに聞くも、方言なので分からない。多分「河撈麺」だと思う
・・・・という。今まで食べたことの無い珍しい麺なのか。早速、夫婦らしい二人はウドン粉を練り始めた。「厠所は?」というと、厨房の勝手口を開け外を指さした。
外に出るも小屋は見当たらない。薄暗い森が広がっている。例によってここも「天然
の厠所」なのだ。森の中に入って行くと小川があった。手を洗っていると川上から桃ならぬ歌声が流れてきた。それに誘われ遡って行くと、娘さんが三人洗濯をしていた。写真を撮っていいかと聞くと“好”。何処から来たのかと聞くので“日本”というと、初めて日本人を見たという。お父さん達は見たことが有るかと聞くと、“無い”しかしお祖父さんは知っている、という。この山奥の村にも、1939年に日本軍が侵攻した。三光作戦で全村が壊滅した歴史があるのだった。

飯店に戻ると麺を作っている。大鍋の上に洗濯板のような板を乗せ、そこにウドン玉を擦りつけている。板には穴が無数に空いていて、そこから糸状となった麺が煮え湯の中に落ちていく。即席の麺だが味は手打ちウドンと変わらない。山西省のメンは何処で何を食べても美味しい。

それから数年後、この村に開通した高速道路を走った。「ミングドン」を食べた飯店も、歌声が流れた小川の森も、みな無くなっていた。

こんな小さな山村にも近代化の波が押し寄せていた。