山西省四方山話 17
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温泉(3) 覗き




 山西省の温泉は、北の湯頭、南の夏県、中部の奇村と大營、西の寺平安が規模も大きく有名だ。

1996年、五台山に行きたい三人と太原から北に向かった。みんな五台山は初めてで、その壮大な寺廟群に大感激。その後は代県に行く。近くにある万里長城の内城である雁門関に寄り雄大な楼閣を見る。

そして楊忠武祠堂を見に行く、ここは宋代の武将楊業を祠った堂で、以前見た写真では古い趣のある寺に見えたが、中国人好みの派手な色彩に様変わりしていた。子孫の華僑の援助で修復したという。

県城から南へ約23キロの所に、趙杲観という珍しい道教の廟がある。一時間ほど小さな村が繋がる平原を走って行くと山が見えてくる。麓にある山門の前で車を降り、狭い山道を登り始めると数人の青年が降りてきた。「何処から来たのか」と聞くので「日本からだ」というと「こんな辺鄙な所に日本人は珍しい」という。汗が出てくるころ廟が見えてくる。趙杲観だ。遠くの山頂にも小さな廟が見えた。


伝説では、春秋晋国時代の丞相趙杲が迫害から逃れて、この山中に隠れたと言われる。北魏の時代、趙杲を偲び廟を建立し、明代には廟を南北に分けた。

趙杲観は雁北の懸空寺といわれ、切り立った崖に張り付いている。そこに行く登り方が変わっている。崖のある廟には登る道が無い。崖の下にトンネルがある。入って行くと廟の真下あたりに煙突のような穴が垂直に空いて上から鎖がぶら下がっている。10mはあるか、その鎖を手で掴み登って行くのだ。そして上がると一層の廟に出る、そこから上の五層までは梯子が架かっている。

 “行きはヨイヨイ、帰りはコワイ”とはこのことで鎖を握って降りるのだ。手が滑ったら下の岩盤に叩きつけられ一巻の終わりだ。下を見た同行の女性、あまりの高さに手が震え力が入らない。降りなければ帰れない、回り道はない。時間がたつも度胸が定まらない。男が先にぶら下がり、その肩に足を乗せ二人一体となって何とか降りた。

 そんな事が遭ってその日は太原に帰れなくなった。

 途中の忻州に温泉場がある、そこには何とか辿り着ける。そこは省内最多の湯量を誇る奇村温泉。前から行きたいと思っていた所、絶好の機会だ。“禍転じて福”か。

 忻州が近づくと運転手の梁さんが、この近くの頓村に新しい温泉場が開発されたという。広々とした草原の中に建物が見えてきた。頓村だ。近づくと農村には不似合いの赤や青色の派手なペンションが数軒。すぐに一人の若者が飛んできた、自分の所に泊まって行けと誘う。農民だが出稼ぎなど苦労し、自力で建てた飯店だという。嘘か本当かわからぬが泊まることにした。

 早速浴室にゆく。中は広いがバスタブは小さく日本風だ。湯を満杯にして入るもぬるい、蛇口からは何時までたっても熱い湯は出てこない。隅を見ると仕切りがあり中がサウナになっている。中に入り鉄柵に囲まれた熱源に湯を掛けると蒸気がモウモウと立ち昇る。10分も熱気に包まれていると汗が出てきた。バスタブに戻る。ぬるま湯がことのほか気持ちがいい。のんびり浸かっていると突然窓の外を黒い影が走った。

 “覗き”か、急いで窓を開けると、広場の草を食べていた牛が数頭ねぐらに帰って行く。牧草地に飯店が建っていたのだ。

 それから十数年後、この地に開通した高速道路を走った。温泉宿が建つ広大な草原は小ディズニーランドと化していた。