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【病気】その1

帰国者が入所の翌日に訴える症状に耳鳴りがある。日本に着いてから頭もガンガンしているという。掛かり付けの耳鼻科で診察してもらう。医者はこの症状の帰国者を何人も診ていて、耳の中を見ると手慣れたもので何か液体を注入する。大きな耳垢がこびり付いて剥がれないのだ。翌日行くと、医者はピンセットで耳の中からコルク状の塊を取り出した。患者はポンと音がした感じで、頭もすっきりしたという。初めて乗った飛行機の振動と気圧の変化で、垢が動き出したのが原因という。
 中国人は耳掃除はやらないようだ。
 入所後すぐに問診を実施する。家族毎に多目的ホールに呼び出す。私は体重と身長を計る。この時に注視するのが頭髪だ。特に女性は念入りに見る。虱が付いている人がいるのだ。虱の色は髪と同じ黒く分かりにくいが、卵は白く光っているので分かる。何匹か捕まえて瓶に入れて置く。防衛医科大学病院の看護婦が虱を見たことがない、と聞いていたので後日届ける。虱のいた頭に殺虫剤をかけビニール袋を被せる。
 問診は看護婦と医師の経験のある生活指導員が行う。ある男性は聴診のとき脱いだ肌着を着ようとすると背中の所にヒビが入った。その肌着は何年も「着たきりスズメ」であった。垢で固くなって折れたのだ。看護婦はこのような人にと、自宅から肌着を用意してきていた。
 問診の後にレントゲン車が来て結核の検査がある。結果が陽性だとすぐに入院となる。
 ある日の昼間、入所者は研修棟に行き誰も居ないはずの厨房で物音がする。覗くと男性が一人で料理をしている。見ると結核病院に入院している男性だ。聞くと病院食に耐えられないと無断外出し、栄養のあるものを食べに来たという。そして卵七個をかき混ぜ焼いた。それだけ食べると満足したのか帰って行つた。入所者が入院のときは車で送って行く。男性は知らない土地の病院から日本語も分からずに電車を乗り継ぎ、良く帰って来たものだ。帰国者は本当に卵が好きだ。
 入院している患者が無断外出し帰棟することは良くある。特に結核病院は療養期間が長く、帰国後すぐの入院だ。環境も変り言葉も通じない。孤独で精神的、肉体的に耐えられなくなる。そこで「脱走」するのだ。
 ある夜、皆が寝静まったころ、棟内に突然火災警報が響き渡った。場所は一階の部屋だ。駆けつけるとドアーに鍵が掛り入れない。マスターキィーで開けて入ると、窓は開けてあるが煙が充満している。ここは夫婦二人の部屋だ。女性が一人、敷かれた蒲団の上で泣いている。火元のゴミ箱は水が掛けられ転がっている。聞くと、その日の夕方に結核で入院中の夫が帰ってきた。無論、黙っての外出だ。久しぶりに水入らずの夕食。そのあと、夫は病院で禁止されているタバコを吸った。そして二人は蒲団に入った。しばらくすると火災警報が鳴った。灰皿代わりとゴミ箱に捨てたタバコの火が燃え出していた。水を掛け火は消えたが煙が立ち込めた。慌てた夫はパンツ一丁で窓から外に逃げて行ったという。例によって、部屋の前は黒山のヤジ馬。そこから「新婚だから仕方がないか」の声もする。
 謝る妻に、「夫は静まれば必ず帰って来る。窓は開けて置くように、そして明朝は人目のない内に早く病院に帰るように」伝える。廊下で騒いでいるヤジ馬を解散させ「一件落着」。
 センターが利用する医療機関は、耳鼻科、歯科、眼科、整体などは個人病院が多い。結核は清瀬市にある病院。風邪や盲腸などは近くの病院。救急は隣接する防衛医科大学病院が多い。
 虫歯の人は多い。初診は通訳が同行するが再診からは一人で行かせる。治療はするが入れ歯を作るのは定着後にする。
 近くに掛かりつけの病院がある。風邪とか下痢などで診察を受けることが多い。医者は安静と投薬だけで大丈夫と告げるが、ほとんどの患者は薬だけでは満足しない。点滴治療を要求するのだ。病院は中国人は点滴が好きはことを知っていて「泣く子と中国人には勝てない」と点滴治療をしてくれる。
 ある患者は点滴が始まると、瓶に貼ってあるブドウ糖のラベルを見て慌てて看護婦を呼んだ。自分は糖尿病だ、ブドウ糖は止めてくれと訴える。看護婦も心得ていてすぐに瓶を外し持ち帰る。そして、ラベルをビタミン剤とか栄養剤のものに張り替えてくる。中身は変わっていないが、それを見てっ患者は一安心、満足顔に変わる。「病は気から」は何処の国も同じなのか。