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『同化政策』

 中国から成田空港に到着した帰国者は専用バスに分乗し、所沢市にあるセンターに向かう。夕方には宿泊棟に到着する。多い時期には一度に二百人以上だ。玄関前に各々の荷物を持ち家族毎に整列した。ここから四か月間の研修が始まる。
 帰国者の服装は見るからに農村出身者と分かる人民服に人民帽が多い。彼等は両手にぶら下げた荷物、背負った荷物それだけが全財産だ。文盲の人もいる。身に付けた技術も知識も日本ではすぐには役に立たない。中国の資格も免許も残念ながら通用しない。まったくの無産階級の人達だ。
 玄関の観音開きの大きなガラス扉を開け、一家族毎に入れて行く。ここから帰国者が夢と希望を抱いて来た日本の生活が始まるが、その瞬間から「同化政策」の洗礼を受ける。中国では居室に入るのに上履きに替える習慣はない。まず上履きのスリッパに履き替える指導をする。職員が居室に案内する。全棟は全て畳部屋。部屋の真ん中に日用品、自炊道具が積まれたちゃぶ台、その周りに家族数に座布団が置いてある。四人家族は六畳部屋一間。腰を下ろして休みたくも椅子は無い。正座かアグラで食事をする仕組みだ。
 全員が居室に落ち着くと直ぐに棟内の説明を始める。この宿泊棟はコの字型の二階建てで、各階の端に厨房と便所が四か所、浴室は一か所ある。まず厨房の説明から始まる。帰国者は初めて見る自動点火のガス台に戸惑う。ゴミで理解できないのが可燃、不燃の分別だが、一通りの説明を終える。便所も使ったことのない洋式だ。浴室は男女別だが広さは六畳程の大きさもない。(バスタブは)三人も入れば満杯となる。その蛇口は一つで水と湯を調節する複雑なもので、これも使用方法に戸惑う。その浴室に100人以上が入る。細かい事、分からない事は翌日の生活指導で詳しく説明する。
 この説明が終わると夕食を支給する。帰国者が最も苦しむ「同化政策」が、この食事である。
 事前に給食センターから配送されていた仕出し弁当は冷え切っている。中国人の主食は温かいものを食べている。せめて「飯」だけでも温めて欲しいと要望も出るが、センターは聞く耳を持たない。温かいのは飲んだことの無い味噌汁だけだ。また米飯を食べたことのない家族もあり、饅頭か麺を要求する者も居るがこれも拒否されてしまう。人間の生死に関わる切実な問題だが、これから続く日本の給食弁当に慣れさせるためだ。
 帰国者の中には宗教上の理由で豚肉を食べない家族がいる。豚を調理した器材で作った料理も臭いで分かり食べない。急遽コンビニに走り卵を調達して、その夜はそれだけのオカズで我慢してもらう。
 こうして彼等は、帰国後初めての夜から日本の生活習慣に戸惑い、夢と希望は日々破壊されてゆく。
 その後、センターは食事については帰国者の強い要望を受入れ、朝、夕と休校日の三食は自炊費を支給し、給食は研修日のみとなった。
 そこで、彼等は各自で好きな料理を作ることになった。そのことで私は見たことも聞いたこともない、珍しい面白い料理と事件が次々と現れてきたのだ