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【ゴミ漁り】その1

宿泊棟に入所した帰国者がこれから生活する上で理解に苦しむことの一つが、ゴミの分別である。生活指導員は市役所の「ゴミ分別資料」を参考にし、ゴミの現物を提示しながら分かりやすく説明するが、そもそも「ゴミの分別」は初めて聞く言葉だ。今迄にやったこともなく、なぜスイカの皮が燃えるゴミなのか分からない人達だ。そこで基本的な可燃、不燃、粗大ゴミの分別基準から教えてゆくが、理解できないまま生活が始まる。
 生活指導員の仕事は厨房にあるゴミ容器の点検から始める。その後、ゴミ置場に出してあるポリ袋をチェックする。市のゴミ収集車は異物が混入しているゴミ袋は持って行かない。暑い時期になると残された可燃ゴミ袋の中は腐敗しているが、それも開けて分別し直す。
 入所した時は不用な物は持って来ていない帰国者だが、あっと言う間にゴミ置き場に不用品が集まる。彼等がすぐに覚えるのが「ゴミ漁り」だ。
 定着地問題がこじれて退所しない前期からの残留家族が居ると、新しい入所者は彼等から良いことも悪いことも伝授される。どこのスーパーが安いとか、いい「粗大ゴミ」が多い団地は何処かなど。そのうえ職員の「評価」まで教わる。そこでセンターで生活する上の「知恵」が身に付いていく。
 帰国者が生まれ育った故郷では、日本で捨てられているゴミは「宝の山」に見えるという。そこで目に付いた物は取りあえず拾ってくる。職員に家電製品の修理代を聞きに来る。日本は修理代は高い、新しい物を買った方が安い、と教えるが理解できない。仕方なく諦めて捨てる。見た目は新品に見える乾電池は専用のゴミ箱が直ぐに満杯になる。そこで宿泊棟は街のゴミの集積場となっている。
 日本語の学習をする研修棟まで、毎日歩いて行くのだが30分はかかる。そこで帰国者は通学用に自転車の貸与を要望する。しかしセンターはその希望を受け入れない。
 近くにある新所沢駅と航空公園駅の付近に通勤・通学者が利用する自転車置き場がある。その周りには置き場から溢れた自転車が放置されている。近くの空き地には長年放置された自転車が山積みになっている。
 帰国者は、そこから使える自転車を見つけ出し通学や買い物に使い始める。センターは例によって厳重注意するが、便利さを知った彼等は聞く耳を持たない。そこでセンターは研修棟・宿泊棟に置いた時を見計らって自転車を没収するが、また直ぐに拾ってくる「イタチごっこ」が始まる。そして職員の目の届かないリハセンター敷地内の林や藪、リハセンター宿舎の自転車置き場に隠し、そこから研修棟の近くまで乗って行く。そして、コンビニや団地の自転車置き場に置いたあと歩いて行く。
 彼等には「政策があれば対策がある」のだ。
 そんなある日、事務所に4,5人の青年が乗り込んできた。机の上に腰掛けた彼等の手にヌンチャクが握られている。「我々の自転車に手を付けたら容赦しない」と、ヌンチャクを振り回し机を叩き脅迫した。職員は誰一人として言葉が出なかった。その後、彼等は研修棟に自転車で乗り付け、センター所長を脅迫した。定着地問題がこじれた帰国者が柳刃包丁を振りかざし、事務所に乱入してきた事もあった。この様な事件が続発したあと、職員は事務室・職員室など上履きに履き替え仕事をしていたが、所長はこの様な事態に職員がすぐ窓から逃げられるよう、今後は下履きのまま勤務するかどうか悩んだという。青年のカバンには、常に教材の他にナイフ・包丁が入っている事を所長は知っていた。
 中国では既に終わった「文化大革命」が、このセンターに吹き荒れ、生き残っていたと嘆いた職員は、最近中国から帰国した生活指導員だ。その「言葉」が、現在のセンターの実情を物語っていた。
 その内、駅前の自転車を無断で乗っていた青年が所有者と鉢合わせとなり、交番に突き出された。また、隣の街まで乗って行き、迷子となり警察署に保護された青年などトラブルが続出した。
 バイクも拾ってきた。青年たちが寄って集って修理を始める。器用な者がいたのか直ぐにエンジンが掛った。リハセンター内の道路は広く自動車の通行が少ない。青年たちは爆音をまき散らし嬉々と乗り回していた。当たり前の事だが、暫くするとパトカーがやって来た。リハの住民が警察に通報したのだ。
 この事態の解決は各自に自転車を貸与する方法しか無かった。そこでセンターは市内のボランティア団体などに協力してもらい、地域で不用となった自転車を提供してもらった。乗れる人には全員に貸与したが、小学生には貸与しなかった。
 そこで子供と二人乗りで通学する家族が出てきた。センターは、日本では自転車の二人乗りは「法律」で禁止されていると「注意」するが、彼等は日本人が子供を乗せて走っているのを見ている。日本人が良くて、なぜ中国人はダメなのか。埒の開かない問答が続いた。