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[定着地問題](2)

こんな話も聞いた。「ある村の農家に育った孤児が成人して世帯を持った。
そこで日用品を買いに初めて鎮の街に出かけた。
ある店に入った。そこで見て驚いたのが水道であった。村にはガスも
水道もない。井戸から水を汲んできてカメに溜めている。
それが街では蛇口を捻っただけで水が出てくる。彼は金物屋に飛んで行き
蛇口を買った。
喜び勇んで家に戻ると蛇口を壁に差し込んだ。そして蛇口を捻った」
多かれ少なかれ、面談した孤児たちは東京以外の「地方」というと、
自分の育った地方を想像している感じであった。
「日本の地方都市の状況を説明しても理解する知識がないのだ。「井の中の蛙」の生活が長く無理のないことだ。
私はこの視察で、「住めば都」という言葉は帰国者には通用しないと思い知らされた。
しかし、この報告が定着地問題に反映されることはなかった。 
帰国者の「定着」に関しては「生活指導」で教育が行われている。日本社会の仕組み、風俗習慣、斡旋された地方の地理などは、個別に映像を使い解説や説明をしている。しかし、センターで数時間の授業と4か月間の短い生活では、帰国者がそれを実感し理解する知識を得るのは難しい。
そこで、彼等は希望する定着地を確保する「戦い」に知恵を絞り、
頭を使い全力を出す。
横須賀市を斡旋された家族。職員と住宅を下見に行った。そこは郊外の閑静な住宅地。その団地から
海が見渡せ環境もいい。この住宅なら喜ぶと思ったが、そうは行かなかった。農村での生活であった
家族は初めて海を見たのだ。白波の立つ大海原を間近かに見て「気持ちが落ち着かない」、「海は怖いと聞いた」、「日本は地震が多い、津波が来たら逃げられない」と、そこに定着をしなかった。
横浜市を斡旋された家族。その公営住宅は戸塚区にあった。交通の便も良く環境もいい住宅地域。 
本人たちも望んでいた都会の団地だ。その家族は中国で都会に住んでいた
知識人一家だ。二人の娘も高等教育を受けていた。その中国での「知識」が禍いした。彼らが言うには、戸塚の「塚」は中國では墓場の意味だ。
この地の名前からして昔は墓場で在ったに違いない。こんな縁起の悪い場所に住めないと
拒否。希望する土地でなければ定着しないと、退所せず残留を続けた。
熊谷市を斡旋された家族。自動車で現地に向かった。所沢から大宮へと街の中を走る。仲仙道に入ると北上。次第に周辺は建物が少なくなり、田んぼや畑が広がり田園風景に変わって行く。そして、熊谷市の郊外に在る団地に到着。彼等は、閑静な住宅地で住居も満足したが、「ここは東京から遠く離ている」
、「小さな街で都会ではない」、「周りに田んぼや畑が広がっている」、「田舎に違いない」と、不満を言い始めた。
これらは一例に過ぎない。拒否する理由は多岐にわたる。その根底にあるのは、この機会を逃せば望む定着地に永久に住めないと、そして、貧しさから抜け出せないという恐怖心があるのだ。
帰国の時、故郷の人たちに必ず東京に住むと、約束をして来ている家族が多い。もし東京に定住できなければメンツが潰れる。養父母を呼べない。里帰りができないと泣き叫ぶ孤児もいる。
経済大国と言われる日本。厚生省のわずかな予算と杜撰な行政が帰国者の不幸に輪をかけている。
センターは、帰国者を「猛獣を飼っているようだ」という。帰国者は、センターを「格子なき牢獄だ」という。
実際に監獄の「お世話になった」帰国者がいる。いま尚、この実態は続いている。