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【喧嘩(2)】

 日本人との喧嘩もあった。
 入所者に自転車を貸与する以前、研修棟への通学は何人か纏まって行った。研修棟の手前には小学校と中学校が隣接して建っている。その校門前の広い歩道を通って行く。帰国者の服装といえば、殆んどの男性は人民服に人民帽だ。女性も中国人と分かる垢抜けない服だ。そんな人達が列をなして歩いて行く。その光景は日本人には異様に見えるのか。
 毎朝、中学校の校門前に何人かの生徒が屯している。その前を帰国者が通る。すると、待ち構えていた生徒が「汚い」、「臭い」、「中国に帰れ」と罵声を浴びせる。朝だけでなく夕方も同じだ。
 学校側は、校門前に起きている光景を知らない筈は無い。しかし何故か職員は見て見ぬ振りをし、生徒に注意しない。
 その行為が続いているある朝。青年たちは校門に近づき生徒たちに抗議したが、彼等はヤジをやめない。
そこで一人の青年が刃物を取り出し傷害事件となった。警察沙汰になったことで、ようやく学校はセンター
と話し合った。
 その後、学校側は生徒にどのような指導をしたのか。年度が変わり、生徒も替わり、センターの入所者も替わった。しかし、以前と同じ状況になるのに時間は掛からなかった。再び、校門前で例のヤジが始まった。
 次の事件は夕方に起きた。帰棟する青年たちに生徒たちが罵声を浴びせている。その生徒たちを捕まえに青年が走った。生徒は素早く校舎内に逃げ込んだ。青年も後を追って校舎に入ったが、生徒は勝手知った校舎だ。何処に隠れたか見つからない。学校からの連絡でセンターの職員も駆けつけ、教員たちと生徒を捜した。
 殺気だった青年は必死で教室、便所などを捜し廻ったが、どうしても発見できない。もし生徒が捕まったら半殺しにされる状況となってきた。最早、警官以外に収拾できない険悪な事態となった。しかし学校側は警官の導入を拒んだ。
 幸か不幸か、生徒たちは一時間余の追跡を逃げきった。青年たちの追跡と怒りは徒労に終わった。そして事件にならなかった。
 孤児は、かつての日本軍国主義による中国での侵略戦争の加害民族の人間であり、そして被害者でもある。その孤児が同じ加害民族である日本人に差別され、罵倒されるのは被害の上に被害を重ねているのだ。そして被害民族である同伴の帰国者には、再びの加害行為であるのだ。その行為が目の前で繰り返されている。
 日本社会が加害の歴史を忘れ去って行く、そんな中に発生した事件だ。
 意気消沈した青年たちが、赤く染まった夕焼けの空に向かって帰って行く。その後ろ姿を見送る先生方は、どんな気持ちであったのだろうか。