中国に於いて1990年代に始まった「経済的に富める者が貧しい者を助ける」という活動=「希望工程」事業に、1996年に埼玉県日中友好協会が協力し募金活動を始めた。1997年には富士見市日中友好協会も協力を始めた。(詳細は「№41・希望小学校」と「№42・失学児童」参照)この支援事業は2007年まで約10年間続けた。(詳細は「№43~№58・里子を訪ねて」参照)
支援終了から10年後の2016年5月19日~22日に臨県に於いて追跡調査を実施した。(詳細は「№59~№77・その後の里子を訪ねて」参照)そこで一応この事業を終了することにした。
2008年4月に、HP[山西省四方山話]欄の「その後の里子を訪ねて」の掲載も終了。ここに私の記憶と資料を基に「希望工程支援事業」の経過をまとめた。
「希望小学校」支援事業
◎埼玉県日中友好協会=楡社県「白北希望小学校」
1997年9月19日 開校式
*学校建設支援=1997年
¥2,300,000円(太原市の希望工程弁公室へ)
<富士見市日中友好協会から1997年3月
¥12,000円(その後も支援したが金額は不明)>
◎富士見市日中友好協会=五台県「上陽希望小学校」1999年6月1日 開校式
*学校建設支援=1998年7月 7日
¥1,800,000円(希望工程弁公室へ持参)
1998年8月31日
¥1,800,000円 (希望工程弁公室へ振込)
[募金額=1,506,377円(97人)・1998年1月19日~1999年2月22日迄] (募金の締め切り年月日、全募金者、全金額は不明)
*設備等の支援=1999年9月10日
¥ 170,000円(書棚、書籍、オルガン=会員より)
2001年6月 約¥1,000,000円
(暖房、水道施設)
2006年6月 ¥ 365,000円
(西小学校寄贈の机、椅子の運送代){内、¥ ? 円=県国際交流協会より助成}
2009年5月¥1,163,000円(校庭整備)
{内、¥450,000円=県国際交流協会より助成}(卓球台寄贈)
「失学児童救助」支援事業(里親=援助者・里子=援助された児童)
◎埼玉県日中友好協会(各地区協会の募金も集めた)
*支援=1997年~1999年
¥3,300,000円(里子550人分)省内8県に配分
<富士見市日中友好協会から1997年3月 ¥18,000円(この後も県協会を通じて支援したが金額は不明)>
◎富士見市日中友好協会から希望工程弁公室へ ☆1998年6月 ¥222,000円(里親21人=里子28人分・ ?校=保徳県、河曲県)
☆1999年6月 ¥168,000円(里親28人=里子28人分・ 3校=臨県)
以下は、山西省対外友好協会経由で臨県共青団へ
☆2000年度 ¥ 90,000円(里親 7人=里子15人分・ 7校=臨県)
☆2001年度 ¥ 60,000円(里親 5人=里子10人分・ 3校=臨県)
☆2002年度 ¥144,000円(里親15人=里子24人分・10校=隣県)
☆2003年度 ¥ 48,000円(里親 8人=里子13人分・ 5校=臨県)
☆2004年度 ¥240,000円(里親16人=里子40人分・11校=臨県)
☆2005年度 ¥234,000円(里親25人=里子44人分・24校=臨県)
☆2006年度 ¥108,000円(里親 9人=里子18人分・ ?校=臨県)
☆2007年度 ¥ 0円(里親 0人=里子13人分・ 1校=臨県)
{この年度は、前年度までの残金が13人分有ったと思われる}
合 計 ¥1,314,000円(里親134人=里子233人分・64校=臨県)
(なお、臨県に再訪問の機会があれば2016年に訪問できなかった村と学校を尋ねる予定)
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