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[中国帰国孤児定着促進友の会2]

「音楽交流会」は、休日に宿泊棟のホールで行なわれる。会員の歌や手品など、帰国者からは中国東北地方の歌や踊りも披露され賑やかだ。参加した人にはプレゼントもあり、子供や女性に人気のある催し。ある時、プレゼントの中古衣料を持った孤児が事務所にきて「ゴミはいらない」と。見ると中古の子供服に汗の跡とカビが生えている。そこで職員は会の責任者に引き取って貰い、この様なことが二度と無いようにお願いした。翌日、その責任者はセンターに「泣き」を入れた。すると所長から「友の会」には優しく対応してくれと、逆に職員が説教されてしまった。
 多くの活動の中で最も過酷なのが退所後の居室の清掃である。これに携わった会員の苦労話が、これも「ともだち」(a`68号)に載っている。そこに「宿泊棟の室、廊下、トイレ掃除、軽く考えての参加でしたが甘い考えは一瞬に消え不安ばかりになりました。足の踏み場もない、油と水に汚れた畳、冷蔵庫を開くと靴、食パン、下着が詰まっている。鍋の底には小ばえの幼虫。食器は油で何枚もはり付き洗浄作業が大変。押入れの天袋から様々な物が落下し会員が怪我をしたり、ゴキブリ退治も加わり大騒ぎ。特に窓から捨てた物集めは想像以上で、ゴミ収集どころか運搬車のようでした。トイレ清掃は書けない状態、泣きながら助けを求めてきた会員もいました。行って見れが絶句でした」とある。
 「花とみどり」の活動は、研修棟と宿泊棟の庭の手入れ、垣根の剪定だ。雑草が茂る暑い時期は準備の頃から汗がでる。そこで早朝の四時頃から始める。帰国者の住みやすい環境を整えるのはセンターの仕事だが職員は手伝はない。素人の会員が樹木の剪定までやる大変な作業だ。
 「電脳教室」はパソコンの講習会。希望者に「手取り足取り」親切に教えてくれる。孤児の年代には「チンプン、カンプン」だが、青年は覚えが早く、将来は役に立てると好評だ。
 友の会は、2000年代に入ると、会員は高齢化により徐々に減少していった。しかし、事業は継続し活動は続いた。
 その頃からセンターも入所者が減少し始めた。次第に職員が帰国者より多くなっていった。その為に臨時職員は解雇されていった。宿泊棟を閉鎖し研修棟に移転した。2010年7月に入所は六所帯と減少した。 2010年5月、友の会は解散することにした。発足から約26年間。会員は減少し212名となった。この間の入所者は6543名。友の会の心温まる事業で励まされ楽しみ、感謝の言葉を残し各地に定着していった。職員も誰一人として感謝しない者はいない。 
 帰国者は、定着した後の各地のボランティアに支えられ、自立に頑張っている。しかし、その居住地で「外国人ヘイト」のビラが貼られ民族差別が続いた。この「ヘイト」の言葉は、彼らの心に一生残るものだ。国家によって人生を翻弄された人々が、その余生を再び差別され生活を送るという現実だ。
 残留孤児が夢にまで見た祖国日本、そこは安住の地ではなかったのか。浮き世で幸せは得られないのか。再びの棄民に会っている。切ない話だ。