"菊花の来暦点描”
市民文化祭の華やかな主役菊花展は魅力満開であります。
キクは中国原産のキクの原種が我が国の野生ギクと似た性質を持ち永い間交雑を経て数多くの変わったキクが誕生しました。
我が国の気候風土が渡来ギクの生育に適した環境であったからでしょう。
キクは唐代に中国で誕生して我が国に入ったのが、桓武天皇の延暦16年(797年)平安京に遷都された後です。
古来中国ではキクは不老長寿の妙薬として珍重されたものです。
面白い話が残っています。
重陽節(旧暦9月9日)キクの咲く10月下旬の日キクの花を酒に浮かべて酌み交わし互いの長寿を祝ったとか、また平安時代の宮中の女官は旧暦9月8日の夜に
庭のキクの花に綿をかぶせ翌9日の朝、露に濡れた綿で全身を拭くと老が去り若返ると言う「きせ綿」が行われたといいます。
延暦16年10月の宮中の公式行事「キク合せ」の席上桓武天皇が詠まれた即興の和歌があります。
「このころのしぐれの雨にキクの花ちりそしすべきあたらその香を」があります。
その後延喜5年に出た古今和歌集にはキクに纒わる詩歌が多く詠まれています。
紫式部「キクの露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじと千代はゆずらむ」と詠んでいます。
その後一旦衰退したキクの栽培が江戸時代になると豪商から庶民の手に渡ると忽ち品種改良も栽培技術も著しく発展し、系統別に分類され現代に通じる基礎が確立されました。
小林一茶の句に「負け菊をひとり見返す夕べかな」はよく知られています。
菊は育てる人の熱意に応え秋に見事な花を着けますが今夏の猛暑は菊の耐え得る限界であり菊栽培に於ける今後の最大の課題であります。以上菊を愛して30年の私の戯言を申し述べました。         

                               記 加藤 孝一